量子場的コラム・カラダは小宇宙

じんぞうさん



最近心臓が弱い傾向の方が多かったですが

今日のセッションは、

腎臓がお疲れの方が多かったです。

セッションって、似た傾向の方が集まるようですよ困った

腎臓を酷使してしまう方の傾向は

働き過ぎ、がんばり過ぎのところがありますが

その背景には

自分の立場やからだを度外視して、

人や仕事に尽くしすぎてしまう

愛を与えすぎてしまう自己犠牲的な精神

があるのだと思います。

それでは

なぜそこまで自分を犠牲にするかというと

自分自身が存在していることの申しわけなさ

というものを、強く感じます。

そこには

過去への悔い、罪の意識、恥の気持ちが

見受けられます。

なぜあの人を守れなかったのに

わたしが生きていていいんだ

なぜなにも出来なかったのに

存在することが許されているんだ

といったように、過去へ意識が強く傾いています。

空間として、過去は自分自身の背後にあるので

過去のことばかりに意識が傾いていると
からだにそのことが反映されて

腰が引き気味だったり(恐れを表すこともあります)

肩や下半身が重くなったりします。

重い過去からくる重い身体を抱えているので

疲労感は、人一倍感じるでしょう。

なので、物理的に腎臓の疲労を解放し

機能を回復するようアプローチするのも効果的ですが

「なぜわたしなんかが存在して良いのか」

という、前提としている考えを

覆すアプローチが効果的です。

それから端を発して、つまりそれが動機づけとなり

自分自身の存在を無価値化して、

尽くす、貢献する、働く、誰かのためになる
ことをしゃにむに目指すというパターンを形成し

気づいたときには

からだはぼろぼろに悲鳴を上げている

と、いう結果になってしまうのです。

じんぞうさん…腎臓

なんてひたむきでけなげなのだろう。

わたしなんざ、休みたいときは休む

疲れたらなるべく仕事を入れないようにしているので

そういう方の爪の垢を煎じて飲んだ方が良いくらいです!

と、いうことで

腎臓を酷使してしまうじんぞうさんは

腎臓が悪いわけではなく、腎臓はむしろ被害者で

腎臓を酷使してしまう世界観にメスを入れた方が
腎臓のリカバリーには良い
というお話でした。




ひぞうさん



疲労ってなんでしょうね?

からだがクタクタになる度に思うわたくしです。

今日は珍しく酷かった。

頭痛がしたり、むくんだり、ふらふらしたり…

量子場師として自分を管理できないなんて

なにごとかっ!

...と反省。(ま、たまにはあるさ)

と、いいつつブログを書いているしょうがないわたくしです。

わたしの場合、疲労はあれもこれも手を出し過ぎる
ところから来ています。

ウェブのページをいくつも開いていて

数時間あれこれ閲覧していると

からだもこころもだんだん消耗していきますよね。

からだを使った、けだるく心地よい疲労感ではなく

いやーな消耗感、イライラ感ですね。

そんな状態が襲ってくるのが、わたしの疲労するパターンです。

まさにエネルギーが枯渇してしまう状態

枯渇しながらも、からだの水分は落ちて

全身がいやというくらい膨張します。

40を超えたら、消耗であっという間に老けるそうですよ。
ははは。

恐ろしいですね。

それはボクら夫婦にとって大問題だ!

と、父ちゃんにいつも諭されます。

消耗は何よりも避けたいところです。

でも、普通の女性はそれほど消耗しません。

自分のからだに気を遣い大切にしているからです。

わたしはそんな気遣いがありません
自分の肉体を度外視して

成果や仕事のためにやり過ぎてしまう。

仕事したい!

遊びもしたい!

成功したい!

この人に良く思われたい!

猫にも好かれたい!

という、あれもこれもの欲張りで

エネルギーを消尽してしまい、からだは疲労してしまう。

この疲労は、

じんぞうさんとは、異なる背景があります。

自分が申しわけなくてやり過ぎてしまう、じんぞうさんと違い、

良く思われたくて、成果がほしくて

つまり外側の評価を気にして

やり過ぎる傾向です。

自己犠牲的というより

自己顕示の精神です。

こんなわたくしは、脾臓が疲労しやすいです。

自分の外側に意識があり

人にどう見られているか気に病み
重くなっていくひぞうさん。

わたしのひぞうさん...

どうにか助けなければ




しんぞうさん



心臓は、不安と対応しています。

未来のことが不安で仕方ない

なにが起こるかわからない

わからないのが不安で仕方ない

不安で不安で

しんぞうさんが、わなわなしてきて

心拍数が上がったり、パニック症になったりします。

その背景には

「事の成り行きをすべて把握していなくてはならない」

という気持ちがあると思います。

だから不安症の方は、自分の認識が及ぶ範囲内のこと

(生活圏の範囲内で、銀河系や宇宙規模の範囲ではない)

を完璧にしたがります。

ガスの元栓は締めたか

鍵は閉めたか

忘れ物はないか

ミスはないか

という角煮癖…ではなくて、確認癖といったように。

それだけではなく、

放射能やさまざまなものや食品の有害物質

に対しても。

身の安全を確保するために

事の成り行き、事態を完全におさえておきたい

のですが、

危険はいつも知覚外からやってきます。

だから、わかろうとすることは

さほど有効ではない。

なので、そんなことをしても無駄と

やめられれば良いのですが

なかなかそうはいかない。

わかろうとするのは

身の安全を確保し、不安感を消したいからですが

5分後の世界がどうなっているかわからないように

すべてを掌握することがありえない以上

不安感はいつも残ってしまうのです。

不安感を消そうとやっきになればなるほど

不安感はつねにあり続けてしまう。

だから、

不安なのでいろいろ確認するのではなく

実は

確認するから、不安がどんどん創造される

のです。

だから、不安を消そうとしない方がよい。

未来のことは誰しもわからないのですから

「わからない」ということ自体に、耐え

「わからない」ということを、自分に赦す。

わからなくたって、最悪な状況にはならない

最悪な状況になったって、死ぬことはない

死ぬことがなければ、最悪の状況だって怖がる必要はない

と、思えればラクになりますよね。

不安感に対して対処しようとしないこと。

不安という想像や妄想への対処ではなく、

実際にそうなった場合の準備をすること。

それは、不安から発した行動ではなく

現実的な対応です。

地に足の着いた行動によって

心臓は実質的な強さを回復していくでしょう。

心臓の強さは、精神力の強さです。

しんぞうさんは、地に足を着けること。

そのために、想像の産物をどうにかしようとしたり

消そうとしないこと。

不安感よりももっと確実な現実があるということに

目を向けていってください。




かんぞうさん



肝臓は、怒りと関係していますね怒る

イライラしたり、ムカムカすると

肝臓が腫れて重くなる傾向があります。

怒るのは、自分自身を守りたいという思いがありますね。

攻撃されている
自分自身がないがしろにされている

と感じると、怒りという反応として表れる場合が多々あります。

怒りは、自分を守ろうという正当な反応です。

3歳の子供にバカにされても、

本気で怒る大人がいないのは

3歳の子供に自分の存在が脅かされるはずはない

とわかっているからですね。

なので、かんぞうさんは

外界の状況に対して、反射的です。

怒りという表現が強くてふてぶてしいイメージなので

さほどそう思われないのですが

ほんとうは気が小さくて恐がりな方が

多いように思います。

かんぞうさんに対しては

誰もあなたのことをないがしろにしていないし

悪いと思ってはいないよ

と、説得すると

案外物わかりの良いところもあるようです。

かんぞうさんに、悪い人はいないのじゃないかな。

ただ、反応しやすいというだけで。

沈黙の臓器なんて言われながらもね。

どんな感情にもどんな臓器にも

悪者はいない。

必死に自分の領分で、自分自身が所属するからだという存在を

健気にまもっているのです。

そんなかんぞうさんを労ってあげましょうね。

といいつつ、今日もわたしは酒を飲む...。