量子場的コラム



開運になりたければ



天体の配置や五行や数字や
さまざまなエネルギーが
自分の心身に影響を及ぼすことが
事実だとしても

確かに量子場を観察してみると
「水星の逆行」のエネルギーはなかなか身体が歪み
コミュニケーション等が著しく悪くなってしまうのだろうなあと
想像するのは難くないです

しかし!

しかし 何より大きいのは
自分にとって何より強い力を持っているのは
自分自身の意識です

意識は神のように、自分自身の心身を
奥深くから支配する力でもあるー

誰かがあなたの悪口を言った
ということを人づてに聞いたとする
とたんに
暗澹とした思いに支配されてしまうでしょうー

わたしが何をしたというの?
あのときのことを誤解している?
あの人の嫉妬じゃないの?
どうしたら誤解を直してもらえるのだろう?

呼吸は浅くなり 
首や肩の筋肉は硬直し
血流が悪くなり体温が下がり
胃痛や下痢になるかもしれないし
ホルモンバランスが崩れて
蕁麻疹ができるかもしれない

そのように自分の身体を誘導しているのが
自分自身です

悪口を言った人が悪いの?
それを伝えた人が悪いの?
わたしが悪いの?
何が悪いの?
それとも悪いと思っているわたしが悪いの?

何が 何を 何で どうなの

という思考が、自身の身体に
影響を及ぼす力を持っていく

だから自分自身にとって
自分の意識は神のよう

ならば!

水星逆行を気にするのも
厄年に怯えるのも
自分の意識であり

その意識が、水星逆行より厄年よりも
自分を支配していく力になっていくのです

だから自分次第で変わるということです

物理的な現象や物質は影響力を持っています
それをすべて否定するわけではありません

でも自分の中の神を軽視していはいけない
それが、いつも先立って
自分の感じ方や体調に影響を与えていくようになる

対象が赤いから赤いというわけではなく
赤いと観察するから赤いというように見える

同様に

あの人が悪いと決めつけるから
まさにそのように思われてそのような現実になる

いつもいつも
自分の意識が現実より先行しているものなのです

意識が先立って
現象を観察して現実に影響を与えているのです

だから
誰しも神なのです

開運をつくるのは
あなた自身です

現象を判断する前に
開運という選択をしていこう




どんなときでも意図はある



あの人が嫌いなんです。
あの人にこうされました。
ああされたからいまこうなんです。

ってね、
量子の世界ではそんなふうには言えません

他者や現実に対して、自分が感じること思うこと判断すること

ぜんぶ自分であり

他者や現実に対して、自分が感じること思うこと判断すること

ぜんぶ自分に返ってきます

だからといって、起きることすべてに責任があるというわけではないです

避けられない天災、事故
他者の思いや判断や感情など
それがぜんぶ自分のせいということではない

そういった現実が起きてから
(自分の意識がそれを観察してから)
そこからどうするか

絶望するのか
嘆くのか
1%の希望を観るのか

物理的な現実と過去は変わらないけれど
自分自身の意識が何を発するかで
場は変わり、現実にも反映される

周りの人間みんなに誤解されて裏切られて絶望しているときでも
まだ自分の中に愛があると信じて
それでも周りを愛そうと決断する

その意図は量子を変えるエネルギーとなり
自分自身と自分の周りに放たれ
闇の中に差す一条の光となり

思いもしなかった現実を展開するかもしれない

だから、どんな状況でも被害者にならないで
被害者になることを選択したとしたら
その決断どおりに自分自身と現実は創られていく
そしてまたあなたは、被害者になる

被害者として人生を生きていく

いずれ人は自分を裏切る
誰もいなくなる
みんなわたしのことが嫌い
世界は裏切りに満ちている

それが事実なのではなく
そう思っているからそうなる

以前誤解されてものすごいバッシングを受けたとき
さすがに一日は落ち込みましたが
毎日その人の笑顔と幸せをイメージしていたら
心温まる謝罪のメッセージをもらって良好な関係になりました

わたしの毎日でそういうことはたくさんあります

量子の世界は
現状にとらわれずどんなときでも
意図で選択できる
たとえそう思っていなくても
発した意図は創造していく力があるのです

量子的に生きるということは
自分に選択肢があるという自覚があるということ
外側の状況や他者の悪意でそうなってしまうのではなく
外側の状況に対する判断すら自分自身で選択しているということ
他者の悪意も自分自身で決断してしまっているということ

それを知っていて
自分の意図で行動をしているということ

量子の世界はスピリチュアルでもフワフワした世界でもなんでもない
いま、あなたの直面している現実をつくっている実体です
その実体は

いま、あなたの観察している態度である
ということです

どんなときでも、意図は創れるのだから




依存するものではない



どんなに施術法がすばらしくても
どんなに方法論が卓越していても
どんなに科学的根拠のあるものでも

それさえあればなんとかなると依存していては、

なんにもならない。

量子場調整に関しては、創った院長が言っているんですよね

技術が変えるわけではない
変わるのは技術からではない
技術によって無意識が身体を変化させたことに

意識が気づき、その気づきから変わっていくと

なので、技術より人間の意識の方が高いのです。
いつも言っているんですがね。

量子場調整 < 意識

なのです。

技術は魔法でもないし
スピリチュアルでもないんで
それで魔法のように変わって、なんにでもなると思ったら
薬に頼ることと、なんら変わらないです。

薬は分子構造ですから、

あっという間に心も身体も強力に変わる

でもそれが切れたら、また元に戻る。

だから止められない。

ずーっとそれに頼ってしまう。

そんな、これがないとダメという

依存する人間をつくるわけではない
自分の足だけで、なにがあっても

元気に立って生きていけるようになることを目指している。

そういう意味で
ラクになることでもないし
ハッピー体質になることでもないし
運気がアゲアゲになることでもない

そういった、受けてラッキー♪
ということより
もっと深いことをやってます。

受けてラッキーなもんにすぎなかったら
お守りを買うとか
巣鴨の地蔵をタワシで磨くとかと
変わらないじゃないですかね。

それもまあ素敵ですが
それだけじゃあないよ。

だから、量子場調整を受けたり量子場師になったら
いろいろ人生も肉体も変わって幸せになると
期待している方は、厳しい現実に直面すると思う。

でもね

厳しい現実を回避することではなく、
厳しい現実に負けない心と身体をつくること

ラクになることではななく、
軽やかに過ごせる心と身体をつくること

トラウマをなくすことだけではなく、
そういった言い訳や理由付けをしない生き方になること

ストレスを無くすことではなく、
ストレスに負けない心と身体になること

そういったことを、量子場調整は目指している。

効果を期待して待つというより

自分が変わった方が、断然素敵ですよね。

だからこれを受けたらミラクルが起きる
っていうもんじゃないですよ。

わたしにとっては、想定以上のミラクルが起きているけれど

技術だけのおかげでもない。

量子場調整

技術に頼ってその恩恵をいただくものではなく

自分を成長させていって

自分の世界を日々更新していくもの

なのです。




痛みに負けない



疼きは海岸に次々に寄せる穏やかな波のように、やってきては去っていた。
またやってきては去っていった。
時々その痛みは顔をしかめなくてはならないほどきついものになった。
しかし同時にそれは、今までに経験したことのない温もりを彼にもたらした。

(略)

彼が感じている温かみは、痛みと対になって訪れるものなのだ。
痛みを受けれない限り、温かみもやってこない。
それは交換取引のようなものなのだ。

『1Q84』BOOK3 村上春樹著



回復の途上で、ときにこれでもかという痛みや苦しみに直面するときがある。

なんでこんな目に会わなくてはならないのか?
とっくに解消されたことだと思っていたのに
ぜんぜん良くなっていないじゃないか。

大丈夫、その痛みが良くなっているということの証なのだから。
良くなっているからこそ、気づく痛みなのだから。
むしろ、歓迎するべきことです。
(もちろん、そうでない場合もあり)

いままでアスファルトに覆われていて見えなかった地表が
自分自身のまっさらな状態だとしよう。

日々の生活を送るには、アスファルトで舗装された道路の方が便利である。
振動も少ないし、スムーズに移動できるし、靴も泥で汚れることはない。

でもそれと引き換えに、精神は砂漠のようで、なにも面白さも楽しさもないー。
人生ってこんな味気のないもだったけ。
あのリアルな生きている実感はどこにいったのだろう。

無意識から調整していって、過去からの癖が落ちていくと
アスファルトの割れ目から草が生えるように
だんだんと本来あった地表が露わになっていくように
そこにあったけれど、いままで気づかなかった自分自身が現れてくる。

変わったわけじゃない、何かになったわけじゃない
いつのまにか何かから守るためにとか
何かに取り繕っていたりとか
必死に自分を装っていたものが
なくなっていく。

だってもうそうする必要がないのだから。

何にも覆われていないままで見える世界は光に溢れて明るいし
そして、呼吸も胸いっぱいにできる。

でも、雨水がもろに入ってきたり、強烈な太陽光にさらされて
確かに過酷ではある。

でも、生きているということなんだ。

その苦しみは長くは続かない。
いずれ耐性ができて、気にならなくなっていく。
それよりは、生の現実に直面して、
まっさらな状態で世界と出会える喜びの方が
大きいことに気づいていく。

そうなったら、
いつもの癖で、何かに対して自分を守ろうとしないで
もう世界に対して怖がらなくてもいいから
これからの楽しみや喜びを作っていこう。

そうすれば、喜びに世界は満たされていくー。




量子場的な観点って?


量子場的な観点とはどういうことか
基本ですが、代表的なものを書いてみます。

①自分以外の他者(ものや人)のせいにしない
 

自分が対象を観察する態度が、他者と自分に影響を与えていく量子の世界。 
外側のものや人を、いま観察している現象の理由にするのではなく
自分自身がどのような意識、態度で現象を観察しているのか
が、現象をつくっているということ。
  

②原因を追求しない(因果関係を考えない)

【AだったからBになる】
というある原因をもとにして結果が生じる
というのは、物理的な世界の法則です。

量子の世界は物理的な因果関係を超えているので
原因を探さなくても現状と未来は変えることができるのです。

つまり、【覆水盆に返る】のが量子の世界です。

この二つだけでも、ずいぶんと開放感がありませんか。
こういった観点が、施術に生かされています。

んたとえば、①は施術者のクライアントに対するときの

「この人はここが悪い」
「この問題をどうにかしなくてはならない」

という観察の態度がクライアントに反映され
その意識が相手の場を創造し、症状をつくりかねないということ。

そのよう相手を観察することをしないということです。

②は、現状の問題を解決しようと、その原因を追求し過去をさぐっても
そのことが決して現状の解決にはならない。
問題がどうあっても、未来に対して意図すると
その強い意思が場を創造し、現状をも変える力になるということです。

量子場的観点、ちょっと心に留めておいてください。




情報を書き換え、過去から自由になる


わたしたちの現実世界は、
物理的な側面だけで形成されているわけではありません。

先日起きた災害のように、大きな台風に見舞われて
交通機関や家が損傷したりといった
物理面も大きく左右しますが

情報というかたちのないものの
影響も大きく受けています。

実際に体験していなくても、
台風の被害はテレビやネットで情報として見聞きし
わたしたちの感情を揺さぶったりして影響します。

情報という側面でいうと、記憶は情報です。

過去に物理的に体験したことが、
情報(量子)として意識の中に残り
ちょっとしたことで、それが反応して表面化して
恐怖や怒りというかたちで感情を揺さぶって
物理的に臓器や肉体を左右します。

つまり
情報を脳は現実と認識する
と言えるわけです。

脳は情報に従うので
すでに終わった過去の感情が揺り動かされた情報が
現在体験している物理的な現実の中に刷り込まれ
恐怖や怒りに影響されて
現実がうまくいかないということがあります。

多かれ少なかれ、わたしたちは
いろんな観念や記憶や反応に制限されているでしょう。

しかし、情報だからこそ現実よりは
簡単に書き換えることができます。

そして、脳はそれを通して現実と認識するので
現実が変わるわけです。

トラウマを修正して
潜在意識を書き換えました、と
わかりやすく説明しておりますが
無意識が認識する情報(量子)を変えている
わけです。

量子は意識に従うので
意識による施術で修正することができるわけですね。

未来の設定も、そのように情報を入力しているのです。

不思議な話ですが
体験するとわかります。

言葉は量子を動かす力


わたしたちは、肉体を所有する以前は

はじめは個別に分かれていない

なにか普遍的なものだったのでしょう。

それが、この世界に生じるとともに

肉体を伴った個別なもの、具体的なものとなり

そしてこの社会で名前をつけられ、肩書きで分類され

より分化されたものとして、存在するようになりました。

この分化された存在として、この世界で

さまざまな個人的な体験をしていきます。

裏切られたり、裏切ったり

傷ついたり、殺めたり

与えたり、与えられたり

といった....

その体験は、それぞれの私的な言語に置き換えられて

処理されていきます。

言葉をとおして知覚したものを顕在化します

つまり、認識していきます。

「痛い」「辛い」「うれしい」「悲しい」

などなど。

言葉は、意識です。

言葉は、意識が外側に表されたもの、

ともいえます。

意識は量子場を創造し、変えるチカラがあります。

言葉は、量子を動かすチカラを持っています。

「辛い」ということによって

体験は「辛いもの」として処理され

そのような場が創造されます。

でも、思い出してください。

わたしたちは、もともと普遍的な存在でしたー

普遍的な一なる存在だったものが

分化されて、いまの自分があるのです。

憤り、恨み辛みといった

個々の方のトラウマは

「ゆるす」

「受け容れる」

「愛する」

など、普遍的な言葉がそれを書き替える効力を発揮するのを、

自分自身やクライアントさんをとおして

いつも目の当たりにしていて

どうしてなんだろう、と思っていました。

それは

普遍的な言葉が、

個的なエゴに囚われている量子場を動かすチカラ

があるからなのでしょうが

ひょっとして、この普遍的な言葉において

この世界に生じることになった

もともとの目的を思い出すからかもしれません...

個人的な感情やトラウマは

普遍的な言葉のチカラを発することで

自分自身の中にある、普遍的なものに触れ

救われていくのでしょう。

思い出してください、なぜこの世界に生じたのかを。

どんな辛いことも、それを体験することによって

愛することを

ゆるすことを

受け容れることを

学びたかったのかもしれない...。

わたしたちは、

言葉によって自分自身の根源に触れることができる....。

言葉には、そんなチカラがあるのですね

見えるものがすべてじゃない


「感情は内臓に宿る」という説は、
ご存じの方も多いかと思います。

古来からタオに伝わるチネイザンという施術などで、
ずいぶんと一般的に知られるところとなったのではないでしょうか。

「感情は脳にある」という現代医学の見解では、
とうてい受け容れることのできない説ですよね。

「存在するなら、証明せよ」という議論になるであろうと思うのですが、
そこは波動を身体に映し出すことのできる量子場調整

各感情が、臓器の反応として体感できるので、
内臓と感情が関係していることを検証できます。

怒りをイメージすると、肝臓が持ち上がり、
恐怖を感じると、腎臓が後方に引っ込むというあんばいです。、

人体は、ミクロな世界に踏み込めば踏み込むほど、
AさんとBさんという個体差はなくなり、
どんどん共通していきます。

AさんもBさんも等しい臓器を持っており、
その臓器は等しい細胞でできています。

細胞は、存在そのものが繊細なセンサーのような感じで、
つねに外側の世界に反応しながらかたちを変えていきます。

その、細胞の変化が、身体に映し出されたものが、
「感情」といえるのかもしれません。

細胞というと、理科の教科書でお目にかかったくらいで、
日常の世界では、縁遠い存在です。

まして量子なんていうと、
ますますポカン?怪しいガーンという感じですよね。
(わたしもそうでした)

目に見えるものだけが、現実世界のすべてはありません。
そして、目に見えること(数値などによって可視化すること)だけが、
その存在を証明したことにもなりません。

現実世界は、わたしたちの認識能力によって、
たまたまそのように見えているだけです。

視覚や触覚という感覚に制限されて、
そのように観察できる、仮の世界なわけです。

異なる方法で観察してみると、
異なる世界が観えてきます。

可視化されたものしか信用しない、科学のやり方が、
なんだか古めかしいものに思えてしまいます。

もうわたしたちは、そんな近代的な方法から
脱する時期ではないでしょうか。

そんな、新しい「世界の観方」を体験できるのが、
わたしがサロンで提供している量子場調整

今日もまた、3daysを受講される方で、
この新しい世界の扉を開いた方がいらっしゃいました。

「思っていたより、とても細かくて論理的に出来ているのですね」
と、驚いていらっしゃいましたよ。

講師としてうれしい限りです。

他にはないこの技術。
興味のある方は、ご連絡くださいませ。

きっと、人生に貢献することができると思います




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